2010年12月にフランスを旅行した時の写真です。最初はクリスマス時期の短い旅行をと考えていたのですが、どうせ行くなら長めの方が楽しかろうと10日間の旅行に変更。12月は日も短い上に冬枯れで、緑豊かな美しい風景を見られなかったことが少々悔やまれます。その代わり日が短い分だけ夜景を見る機会には恵まれました。(2011.3.9)
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最新鋭旅客機エアバスA380を体験
エールフランスが2010年10月に東京−パリ間に就航させたばかりのエアバスA380。エアバスA380は欧州エアバス社の超大型旅客機で、全長73メートル。総2階建てのキャビン面積はB747-400の約1.5倍という。(成田空港出発ロビー)
AF自慢のエアバスA380
(2010.12.8 12:33)垂直尾翼に取り付けられたカメラから見た離陸直前の映像。今までにないアングルでの眺めは新鮮だ。飛行中のキャビンはとても静かに感じる。
垂直尾翼からの眺め
(2010.12.8 13:38)
コート・ダジュール/ニース
Côte d'Azur / Nice
夕食のレストラン(Brasserie La Casita)に向かう途中で見かけたクリスマス・イルミネーション。
クリスマス・イルミネーション
(2010.12.9 19:15)冬の夜でもさほど寒くないせいか、現地の人は屋外のテーブルも気にならないようである。
冬の夜でも屋外のテーブル席
(2010.12.9 19:14)海沿いのアルベールI世公園に置かれている移動式観覧車と思われる。撮影ポイント(→衛星写真)
夜の観覧車
(2010.12.9 20:26)
宿泊したエロルド通り(Rue Hérold)のホテル・メディシス(Hôtel Médicis)(→衛星写真)を7:45に出発。撮影ポイント(→衛星写真)
エロルド通りのホテル・メディシス前
(2010.12.10 7:45)ニースの日の出は7時55分とかなり遅い。パイピングが施された本革とクロスのコンビシート、カフェオレ色とダークブラウン色を基調にしたインテリアが落ち着いている。
ニースの日の出は7時55分
(2010.12.10 7:55)エクス・アン・プロバンスに向けてニースの海岸沿いを走る。金曜日の朝8時、夜が明けたばかりだが道路はすでに通勤ラッシュで渋滞中。
夜明けの海岸沿いを走る
(2010.12.10 8:04)
新車の VANHOOL T915
ベルギーのヴァンホール(Van Hool)社製 VANHOOL Model T915は、まだ本革シートの香りが残る2010年6月製造の新車。落ち着いた内装に白色LEDの天井灯と読書灯、足元通路には青色LEDの間接照明が施される。ベルギー製のバスがこんなに素晴らしいとは思わなかった。(途中のSAにて)
(2010.12.10 9:41)
プロヴァンス/エクス・アン・プロヴァンス
Provence / Aix-en-Provence
エクス・アン・プロヴァンス(エクサン・プロヴァンス)は、印象派画家ポール・セザンヌ(1839-1906)が生まれた町。町の北部に最晩年に活動したこのアトリエがある。(→衛星写真)
セザンヌのアトリエの入口
(2010.12.10 10:27)1902年に自ら設計したこのアトリエは彼が亡くなるまで創作を続けた場所。現在は遺品が公開されている。
アトリエ全景
(2010.12.10 10:57)工房は建物の2階にあるが、内部は撮影禁止。左の写真は1階で求めた絵葉書だが、この時もこの絵葉書の通りだった。
工房は建物の2階にある
(2010.12.10 10:28)セザンヌがよく散歩したという庭からアトリエを望む。
前庭から見たアトリエ
(2010.12.10 10:55)
広場の中心にある1860年に建てられた大噴水(通称:ロトンド)。広場南側から撮影。エクス・アン・プロヴァンスのメインストリート、ミラボー通りの西端に位置する。ミラボー通りはこの広場から写真右手(つまり東)へ延びる。セザンヌの像は写真左手にある。
ド・ゴール将軍広場の大噴水
(2010.12.10 12:08)ド・ゴール将軍広場にあるセザンヌ像。ド・ゴール将軍広場はエクス・アン・プロヴァンスの中心部、セザンヌのアトリエからは南へ約1.5kmの場所に位置する(→衛星写真)。
同じくセザンヌ像
(2010.12.10 11:11)
ド・ゴール将軍広場から延びるミラボー通りに入ったところ。通りの南側(写真右手)に沿って食品や雑貨を売る屋台が並ぶ。左の写真はおもちゃの人形を売っている屋台。
ミラボー通り南側の町並み
(2010.12.10 11:17)ミラボー通りのレストラン Les Deux Garcons。1792年に建てらたこのカフェには、セザンヌ、ゾラ、ヘミングウェイなどが頻繁に訪れたという(→衛星写真/→英語Wikipedia/→日本語ウィキペディア)。
セザンヌが頻繁に訪れたカフェ
(2010.12.10 11:49)陽を浴びる通り北側の町並み。この先がド・ゴール将軍広場。通りの北側には世界遺産に指定されている旧市街地区となるが、残念ながら見学できず。並木のプラタナスは落葉している。左の写真は買物をした通り北側のスーパー・マルシェ・モノプリ MONOPRIX(→衛星写真)の前を歩いていたお嬢さん。地元の人だろうか(撮影に失敗)。
ミラボー通り北側の町並み
(2010.12.10 11:51)
プロヴァンス/マルセイユ
Provence / Marseille
エクス・アン・プロヴァンスからアルルへ向かう途中、マルセイユ旧港に立ち寄る。(→衛星写真)
マルセイユ旧港
(2010.12.10 14:40)マルセイユは紀元前600年にまで遡る古い都市であり、人口もパリに次ぐ2番目の数(それでも82万人程度)となっている。
マルセイユ旧港
(2010.12.10 14:42)マルセイユでは、レストラン des Allées(→衛星写真)で南仏名物の野菜煮込み料理「ラタトゥイユ」を味わう。
南仏名物「ラタトゥイユ」を賞味
(2010.12.10 12:57)
プロヴァンス/アルル
Provence / Arles
1888年にフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれたアルルの跳ね橋(ラングロワ橋)(→衛星写真)。実際の橋は別の場所にあったが現存しておらず、この橋は同形の橋を復元したもの。
ゴッホ「アルルの跳ね橋」(1888)
(2010.12.10 16:16)絵の背景はゴッホが療養生活を送った病院の中庭。1989年に資料館、店舗などが入る総合文化センターとしてオープン。中庭は「アルルの療養所の庭」の絵に基づいて復元されたもの(→衛星写真)。
ゴッホ「アルルの療養所の庭」(1889)
(2010.12.11 9:08)「夜のカフェテラス」のモデルとなったカフェテラス。通りまで明るく照らしているカフェテラスの佇まいが温かい。ゴッホの作品の中でも特に人気が高い。夏ともなれば大いに賑わうことだろう(→衛星写真)。
ゴッホ「夜のカフェテラス」(1888)
(2010.12.11 9:42)
アルル中心部のレピュブリック広場。中央にオベリスクが建つ。正面はアルル市庁舎。右手の茶色い瓦屋根の建物はサン・トロフィーム教会(→衛星写真)。
レピュブリック広場
(2010.12.11 9:22)紀元1世紀(75年頃)に建設された収容人員2万人の闘技場。保存状態がよく、今も闘牛などに使われている(写真の状態は闘牛場セット)。上部の観客席は安全のため鉄骨のフレームが組まれている。現在は2層だが当時は3層だった(→衛星写真)。
世界遺産・円形闘技場
(2010.12.11 10:01)円形闘技場から西方向を見る。中世の佇まいを残した、静寂で落ち着いた町である(→衛星写真)。
中世の姿を残すアルルの町並み
(2010.12.11 10:13)円形闘技場から北方向を見る。中央にサン・ジュリアン教会、その向こう側にローヌ河が見える。左の写真は左の通りがアンフィテアトル通り、右の通りがヴォルテール通り。
サン・ジュリアン教会とローヌ河
(2010.12.11 10:14)
プロヴァンス/ポン・デュ・ガール
Provence / Pont du Gard
水道橋そばにある樹齢1000年のオリーブの木。撮影地点は右の写真と同じ(→衛星写真)。
樹齢1000年のオリーブの木
(2010.12.11 11:25)
世界遺産・ローマ時代の水道橋
古代ローマ時代の紀元前19年頃(約2000年前)、ローマ人によってニームへ水を運ぶための全長50キロメートルに及ぶ水道橋が建設された(→衛星写真)。写真はガルドン川下流から見た水道橋。
(2010.12.11 11:26)ガルドン川上流から見る。水道橋は3層構造で、高さは水面から一番上まで49メートルもあるが、2000年も前にこのような巨大な構造物が作られたこと自体に驚く。水道水は一番上のアーチの上を左から右へ流れる。(→衛星写真)。
世界遺産・ローマ時代の水道橋
(2010.12.11 11:31)ガルドン川はこの先曲折しながら最終的にローヌ川に流れ込む(→衛星写真)。
水道橋からガルドン川下流を望む
(2010.12.11 11:38)
プロヴァンス/アヴィニョン
Provence/Avignon
法王庁宮殿とも呼ばれる。この宮殿は1334年から1352年に掛けて建設されたヨーロッパ最大のゴシック建築で、壁の高さは50メートル、内部の面積は1万5000平方メートルもある(→衛星写真)。だが、内部の宗教的装飾品の多くはフランス革命の際に破壊されてしまった。
世界遺産・アヴィニョン教皇庁
(2010.12.11 13:45)ルイ2世(Louis II, 1337 - 1410)、第3代ブルボン公夫妻と思われる像。足元には可愛がっていたと思われる私も大好きなパグ犬がいる。鼻が欠けてしまっているのが可哀想。
ルイ2世 ブルボン公の像
(2010.12.11 14:25)長さ52メートル、幅17メートル、高さ11メートルもある大きな祝宴の間(大食堂)は、今では各種催し物のレセプション会場などに利用されている。左の写真はフランス観光開発機構オフィシャルサイトより。
祝宴の間(大食堂)
(2010.12.11 14:09)
フランス民謡「アヴィニョンの橋の上で」の曲で世界中に知られているアヴィニョンの橋。1177年から1185年に掛けてローヌ川に架けられた橋は全長900メートル、22連のアーチ橋だったが何度も流され、17世紀以来、4連を残すのみとなっている。中ほどに見える建物は橋を造った聖ベネゼを祀る礼拝堂(→衛星写真)。フランス民謡「アヴィニョンの橋の上で」の曲は、4連アーチになった後の19世紀に作られた。
世界遺産・サン・ベネゼ橋(アヴィニョンの橋)
(2010.12.11 15:03)
ローヌ・アルプ/リヨン
Rhône-Alpes/Lyon
リヨンの町を見下ろすフルヴィエールの丘に建つノートルダム大聖堂・フルヴィエール寺院(→衛星写真)。旧市街にあるこの寺院は市民の寄付で1896年(明治29年)に建てられた比較的新しい寺院。(→大きめ900x1020の写真)
フルヴィエール寺院
(2010.12.11 18:05)
豪華絢爛な内陣
教会内に一歩足を踏み入れた途端、重厚な装飾に圧倒される。
(2010.12.11 18:21)金色と緑色を基調とした豪華絢爛の天井装飾
天井に施された装飾
(2010.12.11 18:21)宗教的意味はわからないが、市民の生活を表しているようなミニチュア模型が飾られている。
ミニチュア模型の飾り
(2010.12.11 18:28)
ロワール/ブールジュ大聖堂
Loire/Cathédrale de Bourges
12世紀末から13世紀末にかけて建造されたゴシック様式の大聖堂(→衛星写真)。サン・テティエンヌ大聖堂とも呼ばれるが仏名はCathédrale de Bourges。
世界遺産・ブールジュ大聖堂
(2010.12.12 14:09)正門は左の全景写真の真後ろにあたる。正門の5連の扉は、左右4つが修復を完了。だが中央の大きな扉は修復中だったため彫刻がよく見えなかったのが心残り。
大聖堂正面
(2010.12.12 13:43)両側に複雑な断面を持つ太くて高い柱が林立し、内陣の巨大な空間を支える。今後このような芸術的な造形美を持つ建築物が造られることはあるのだろうか。
大聖堂内陣
(2010.12.12 13:49 / f=18mm / プログラムオート(1/4秒 - F3.5) / ISO 200
精緻な図柄のステンドグラス
周囲の柱の間に嵌め込まれている大量のステンドグラスは建設当時のもの。きわめて精緻な図柄が目を引く。
(2010.12.12 13:52)
ロワール/シャンボール城
Loire / Château de Chambord
シャンボール城はフランソワ1世によって、狩猟用の館として1519年から1547年にかけて建設された(→衛星写真)。写真は城の裏手になる。
世界遺産・シャンボール城
(2010.12.12 16:01)左の写真で耳に掛けているのは補聴器ではありません!ツアー旅行には必須と言えるガイディングレ・シーバー。
水に映る城は美しい
(2010.12.12 16:01)城には部屋が440、暖炉が365、階段が74あり、屋根には暖炉ごとの365本の煙突が装飾的に造られている。暖炉の数が多いのは寒さが厳しいためだった。
屋根の塔はすべて煙突
(2010.12.12 15:55)設計にはフランソワ1世が傾倒していたレオナルド・ダ・ヴィンチも絡んでいたらしく(説)、昇る人と降りる人が出会うことのない二重螺旋の階段も造られている。
正面入口
(2010.12.12 16:07)
2つの階段を人がすれ違うことなく昇り降りできるようになっている。
二重螺旋の階段
(2010.12.12 16:16)もともとあった家具調度品はフランス革命時にほとんど略奪され、これらの絵は革命後の城主シャンボール伯爵が運び込んだものという。
控えの間
(2010.12.12 16:33)儀式用の寝室なので、実際にどれほど使われたかはわからない。
王の寝室と儀式用の寝台
(2010.12.12 16:33)1871年にシャンボール伯爵のために作られた馬車。馬具一式はエルメス製。馬車は未使用のようである。
エルメス製の馬車
(2010.12.12 16:58)
ノルマンディー/モン・サン・ミッシェル
Normandie / Mont Saint-Michel
イギリス海峡に面した湾内の島に966年に修道院が建てられ、その後増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在の形になった。18世紀末のフランス革命後に修道院が廃止され1863年まで国の監獄として使用された時期もあったが、1865年に再び修道院として復元された(→衛星写真)。
世界遺産・モン・サン・ミッシェル島
(2010.12.13 14:10)駐車場前の突出門(入口)から修道院付属教会を見上げる。左は工事中の突出門(入口)。
突出門から修道院付属教会を見る
(2010.12.13 14:18)対岸との間をつなぐこの道は1877年に作られたが100年間の間に急速な陸地化が進んでしまったため、現在道を取り壊して橋を架ける計画が進んでいるという。我々がこちらを撮影した時と同じ場所にバスが停まっているのが見える。
島と対岸をつなぐ道
(2010.12.13 14:53)島の西側に張り出しているガブリエル塔を修道院付属教会の西側テラスから見下ろす。一番左の全景写真では左端に写っている円錐屋根の小さな建物。
ガブリエル塔を見下ろす
(2010.12.13 15:00)
島の中心にある修道院付属教会の尖塔。尖塔には黄金に輝く大天使ミカエル像が載っている。
修道院付属教会の尖塔
(2010.12.13 15:13)修道院付属教会の最上階にある中庭と回廊。とても落ち着いたたたずまいとなっている。
最上階の中庭と回廊
(2010.12.13 15:14)中央の二人はツアーディレクターと現地ガイドスタッフ。内陣の一角には変わった形をした小型のパイプオルガンがあった(写真左)。
修道院付属教会の内陣
(2010.12.13 15:08)修道院付属教会の内陣は島の上の教会と言えどもやはり壮大である。また内陣には他の教会と同様、クリスマス飾りが飾られる(写真左)。
修道院付属教会の内陣
(2010.12.13 15:13)
島のメインストリートである「大通り」(グランド・リュ Grande Rue)(→衛星写真)。日本なら「モンサンミッシェル銀座」と言った所か。
島のメインストリート「大通り」
(2010.12.13 14:26)
※モン・サン・ミッシェルでは特に撮影ミスが多かった。宿泊したホテル「オーベルジュ・サン・ピエール」 (Auberge Saint-Pierre)は、15世紀に建てられ、歴史的建造物に指定されている。
ホテルは15世紀に建てられた館
(2010.12.13 14:27)このホテルは大通りに面して建っているため、島内観光には文句なしの好立地。宿泊した部屋は3階の角部屋106号室。フロントは2階にある。夕食は1階のレストランでとった。
3階一番右の角部屋に宿泊
(2010.12.13 17:11 / P905i)
大通りに面した窓の左手にはグリーンのシートで覆われた王の門が見える。大通りの両側は「プラールおばさん」で有名なクッキーショップ。
窓からは左手に王の門が見える
(2010.12.13 16:31)部屋の写真の左が西側の窓、右が北側の窓なのだが、窓からは大通りの賑わいがよく見える。商店街の閉店時間はけっこう早く、6時頃には閉店する。
窓の下は大通り
(2010.12.13 16:31)ホテル3階の出入口から城壁に出る 部屋の前の廊下には城壁への出入口があり、出入口を出ると「自由の塔」の前に出られる。この出入口は夜の12時まで部屋のキーを使って自由に出入りできる。(2010.12.13 16:36)城壁の道は島の南から東まで島を4分の1周している。右の階段を上がると教会まで行ける。ホテル近くの城壁の道には様々なショップも並んでいる。
ホテルを出て城壁を散歩
(2010.12.13 16:51)
「大通り」側の窓からは修道院付属教会が目の前に見える。
ホテル・サン・ピエールの部屋から
(2010.12.13 16:36)ライトアップされた修道院付属教会は神秘的。
夕闇みに浮かび上がる修道院
(2010.12.13 17:46 / P905i)ライトアップは12時ごろまで行われるているようである。
夜の修道院付属教会
(2010.12.13 18:51 / P905i)
ノルマンディー/オンフルール
Normandie / Honfleur
オンフルールはイギリス海峡にそそぐセーヌ川河口にある港町。11世紀来、イギリスへ物資を運ぶための港として発達。フランス王国とイングランド王国が戦った百年戦争(1337-1453)時代に最も栄えた。旧港の入口から町並みを見る(→衛星写真)。
オンフルール旧港の町並み
(2010.12.14 11:22 / P905i)1608年にカナダのセント・ローレンス川流域にケベックの町を建設した探検家サミュエル・ド・シャンプラン総督(1567-1635)の家(→衛星写真)。家の前には雪化粧したクリスマス・ツリーが飾られている。
探検家シャンプラン総督の家
(2010.12.14 11:22 / P905i)幅100m、奥行き200mあるか無いかの小さな港だが、港に沿った町並みは非常に美しい。旧港の奥から町並みを見る(→衛星写真)。(2010.12.14 11:31 / P905i)
旧港に面した美しい町並み旧港は現在はヨットハーバーになっている(→衛星写真)。ノルマンディーやパリなど北フランス一帯は当時イングランドに支配されていたが、幸いにもフランスが勝利したおかげで現在の位置に国境が成立することになった。フランスを勝利に導いたジャンヌ・ダルクがいまだに忘れ去られないのはこのためなのだろう。
停泊中のヨットは絵になる
(2010.12.14 11:34 / P905i)
旧港に面して建つサンテティエンヌ教会。内部は海洋博物館らしい(→衛星写真)。
サンテティエンヌ教会
(2010.12.14 11:26 / P905i)フランス最古かつ最大の木造教会(→衛星写真)。
サン・カトリーヌ教会・鐘楼
(2010.12.14 11:39 / P905i)15世紀の百年戦争で破壊された教会を再建する際、費用を抑えるために木造にしたという(→衛星写真)。
サン・カトリーヌ教会・礼拝堂
(2010.12.14 11:39 / P905i)設計したのが船大工というだけあって、その技術は船底のような天井に生かされているようだ。
サン・カトリーヌ教会・内陣
(2010.12.14 11:42 / P905i)
ノルマンディー/ルーアン
Normandie / Rouen
大聖堂側面入口。大聖堂本体は1063年に建造されたものだが、ステンドグラスは15世紀、高さ152mの尖塔部分は19世紀に追加されている(→衛星写真)。
ルーアンノートルダム大聖堂側面
(2010.12.14 14:33 / P905i)真黒になっていた彫刻がきれいに補修されている(→衛星写真)。
大聖堂側面入口
(2010.12.14 14:36 / P905i)フランスは広場があるとこのような移動式の観覧車やメリーゴーランドが置かれることが多い。国民性の違いとは言え、京都・奈良の仏閣の前に置くような違和感がある。観覧車を良く見ると籠に囲いが無いが、怖くないのだろうか(→衛星写真)。
大聖堂正面
(2010.12.14 14:48 / P905i)11世紀に建てられただけあって、内陣の佇まいには歴史を感じる重みがある。
大聖堂内陣
(2010.12.14 14:55 / P905i)
ノートルダム大聖堂から大時計通りを通ってジャンヌ・ダルク教会のある旧市場広場へ向かう(→衛星写真)。
大時計通り
(2010.12.14 15:26 / P905i)ルーアンの町のシンボルともなっている大時計(→衛星写真)。
ルーアンのシンボル「大時計」
(2010.12.14 15:27 / P905i)1本針(時針のみ)が特徴の時計は14世紀の作。門のアーチは16世紀に作られた。
1本針の時計は14世紀の作
(2010.12.14 15:28 / P905i)
イル・ド・フランス/ヴェルサイユ宮殿
Ile de france / Château de Versailles
アルム広場に面したベルサイユ宮殿の入口(→衛星写真)。ベルサイユ宮殿はルイ13世(1601-1643、在位1610-1643)が1631年に建設した城館から始まり、ルイ18世(1755-1824)まで増改築が続けられた。現在、世界遺産。
正面鉄柵門(第1の鉄柵門)
(2010.12.15 9:27)写真の左には第2の鉄柵門が小さく見える。真ん中の建物は王室礼拝堂(→衛星写真)。
正面内庭
(2010.12.15 9:28)1830年に勃発した七月革命では宮殿の破壊が懸念されたが、ルイ・フィリップ1世(1773-1850、在位1830-1848)が「フランス歴史博物館」(1837年開館)にすることを提案してその危機から救った。(→衛星写真)
第2の鉄柵門
(2010.12.15 9:30)
ルイ14世時代の1710年に完成した王室礼拝堂(→衛星写真)。1階席が一般用で2階席が王室用だった。1770年ルイ16世(1754-1793、在位1774-1792)とウィーンから来たハプスブルク家のマリー・アントワネット(1755-1793)の婚礼も行われている。
王室礼拝堂の2階部分
(2010.12.15 9:40)正殿と王室礼拝堂の間にある部屋。写真の絵の両側のドアから王室礼拝堂を経て北翼棟の各部屋へと通じている(→衛星写真)。王室礼拝堂ができるまで礼拝堂として使われていた。9月から村上隆展が開催されているとのことで、この部屋にも氏の大きな作品が展示されていた(左の写真)。
ヘラクレスの間
(2010.12.15 9:40)ローマ時代の姿をした若き日のルイ14世(1638-1715、在位1643-1715)像。ヘラクレスの間から2つめの部屋。夜会の際に軽食を取る場所として使われていた。天井画は「神々と強大国を従わせるヴィーナス」
ヴィーナスの間
(2010.12.15 10:48)1684年に完成した鏡の回廊は庭園に面した正殿の2階にある。当時非常に高価だった鏡が壁面を覆っている(写真左側の壁面)。全長73メートルに及ぶ回廊の中央部分、つまり正殿の中央部分には王の寝室がある。回廊からは広大な庭園が見渡せる(写真右側)(→衛星写真)。
鏡の回廊
(2010.12.15 10:02)
王の寝室は鏡の回廊の中央部分にあり、寝室の枕元の裏が鏡の回廊となっている。
王の寝室
(2010.12.15 10:11)鏡の回廊から南花壇越しに南翼棟を見る(→衛星写真)。手前の連結車は庭園見学用の乗り物プチトラン。(2010.12.15 10:16)
鏡の回廊から南翼棟を見る鏡の回廊の南端の角部屋が王妃の寝室になっており、寝室の左側の壁の裏が鏡の回廊となる。
王妃の寝室
(2010.12.15 10:17)かつては「王と王妃の衛兵の間」と呼ばれていたが、ルイ・フィリップ1世(1773-1850、在位1830-1848)によってこの巨大な絵が飾られてから戴冠式の間と呼ばれるようになった。絵ではナポレオン1世が妻ジョセフィーヌに冠を授けている。
戴冠の間
(2010.12.15 10:28)
正殿前の大理石の中庭(→衛星写真)。屋根の装飾や壁面の彫刻が素晴らしい。写真右手の正殿北側から入り、正殿正面(鏡の間)、写真左手の正殿南側と回って来たところ。
大理石の中庭
(2010.12.15 10:34)正殿から、水の前庭、ラトナの泉水、ラトナの花壇、緑の絨毯、アポロンの泉水、大運河へと延びる庭園(→衛星写真)。この季節、ラトナの泉水は氷結している。
ラトナの泉水とラトナの花壇
(2010.12.15 10:59)氷結した水の前庭から正殿を見る(→衛星写真)。正殿正面の2階は鏡の回廊。
正殿と水の前庭
(2010.12.15 11:04)
北花壇の西端から北翼棟(左)と正殿(右)を見る(→衛星写真)。北花壇の霜が溶けずに残っている。(2010.12.15 11:06)
北花壇からの北翼棟と正殿北花壇から延びる水の散歩道(→衛星写真)。先に見える泉が氷結したドラゴン泉水。
水の散歩道からドラゴン泉水
(2010.12.15 11:09)ドラゴンの泉水からトリアノン宮殿まで延びるトリアノン通り。1キロ余りある一直線の並木道である(→衛星写真)。この道はプチトランの見学ルートにも入っている。
トリアノン通り
(2010.12.15 11:19)トリアノン通りの撮影を終え、ネプチューンの泉水の左手から宮殿を出てネプチューンの泉水の裏手に回った所で見かけた路上駐車の光景(→衛星写真,写真の正面に写っている白い家の3つのドーマーが衛星写真で確認できる)。フランスではどこへ行っても車間距離をぎりぎりに詰めた縦列駐車を目にする。ルノー・メガーヌの後ろの赤い車はシトロエンC4ピカソ、前がアウディA3。本当に前後に押しのけて脱出するのだろうか。でもそうするしか無さそうだ。
縦列駐車の車間距離
(2010.12.15 11:24)
パリ/ルーブル美術館
Paris / Musée du Louvre
ルーブル美術館の中庭(→衛星写真)。エッフェル塔もそうだったが、このガラスのピラミッドも賛否が分かれ、かなりの反発があったようである。
ルーブル美術館
(2010.12.15 14:13)ミロのヴィーナス(紀元前2世紀末)、H202cm、古代ギリシャ。エーゲ海のメロス(ミロ)島で発見。
ミロのヴィーナス
(2010.12.15 14:04)サモトラケのニケ(紀元前190年)、古代ギリシャ。1863年に、エーゲ海のサモトラケ島で発見。ニケはギリシャ語で「勝利」。
サモトラケのニケ
(2010.12.15 14:10)
サビニの女たち(1799)、W522 x H385cm、ダヴィッド(1748-1825)
サビニの女たち
(2010.12.15 14:21)皇帝ナポレオン1世の聖別式と皇妃ジョゼフィーヌ(1763-1814)の戴冠(1804)、W979 x H621cm、ダヴィッド(1748-1825)
皇妃ジョゼフィーヌの戴冠
(2010.12.15 14:21)皇妃ジョゼフィーヌ(1805)、W179 x H244cm、プリュードン(1758-1823)(2010.12.15 14:23)
皇妃ジョゼフィーヌレカミエ夫人(1800)、W244 x H174cm、ダヴィッド(1748-1825)
レカミエ夫人
(2010.12.15 14:25)
アタラの埋葬(1808)、W267 x H207cm、トリオゾン(1767-1824)
アタラの埋葬
(2010.12.15 14:26)グランド・オダリスク(1814)、W162 x H91cm、アングル(1780-1867)。背骨と骨盤の不整合、左足の不自然さなど、異様な絵となっている。
グランド・オダリスク
(2010.12.15 14:28)モナ・リザの絵は大人気で写真を撮るのにも苦労するほど。モナ・リザ(1503-1505)、W530 x H770cm、ダ・ヴィンチ(1452-1519)。
モナ・リザ
(2010.12.15 14:32)
カナの婚礼(1562-1563)、W994 x H677cm、ヴェロネーゼ(1528-1588)
カナの婚宴
(2010.12.15 14:34)民衆を導く自由の女神(1831)、W325 x H260cm、ドラクロワ(1798-1863)
民衆を導く自由の女神
(2010.12.15 14:38)シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク(1854)、W178 x H240cm、アングル(1780-1867)
戴冠式のジャンヌ・ダルク
(2010.12.15 14:43)
パリ/エッフェル塔
Paris / Tour Eiffel
アレクサンドル3世橋付近から夕焼けに包まれたエッフェル塔を見る(→衛星写真)。
アレクサンドル3世橋とエッフェル塔
(2010.12.15 16:57)アルマ橋付近からエッフェル塔を見る(→衛星写真)。この橋の北側(写真の反対側)にセーヌ川と並行してジョルジュ・ポンピドー道路が走るが、1997年8月31日、ダイアナ元英国皇太子妃の自動車事故は北側の袂のトンネル内(アルマ広場の下)で発生した(→衛星写真)。ダイアナ妃はパリ滞在4日目、モン・サン・ミッシェル観光の帰り、ホテルに戻る途中で事故に遭った。
アルマ橋とエッフェル塔
(2010.12.15 17:01)アーチのある橋はドゥービィー歩道橋。エッフェル塔の手前は「ケ・ブランリ美術館」(→衛星写真)
夕日に染まるエッフェル塔
(2010.12.15 17:02)
細部まで繊細かつ緻密にデザインされた構造、アースカラーに塗られた落ち着いた佇まいは芸術性が極めて高く、存在すること自体が圧倒的であり、美しい。
繊細かつ緻密なデザイン
(2010.12.15 17:05)1889年(明治22年)の第4回万国博覧会に合わせ、わずか2年の工期で建設された。エンパイア・ステート・ビルより42年も前に完成していたとは信じ難い。世界遺産にならないことが不思議なほどである。なおエッフェル塔は何にも妨げられずに全景が見られる公園を持っていることも特徴である。
明治22年に完成
(2010.12.15 17:06)エッフェル塔の夜間照明が内照式になったのは1985年で、東京タワーはこれを真似て3年後の1988年に内照式となった。内照式のアイデアは素晴らしく、夜の景観を一変させるものだった。しかも近くのものを照明するだけなので省エネにもなるという。(2010.12.15 17:15)
内照式の夜間照明タイミング良く塔と月が並ぶ美しい眺めとなった。ここも多くの人が集まるところなので他の観光地同様、フランス名物の移動式メリーゴーランドが棟の下に出張っている。
イルミネーションと月
(2010.12.15 17:16)
パリ/ギャラリー・ラファイエット
Paris / Galeries Lafayette
ヨーロッパ最大級の百貨店「ギャラリー・ラファイエット」のイルミネーション(→衛星写真)。
ギャラリー・ラファイエット
(2010.12.15 18:09)ギャラリー・ラファイエット前の混雑は、有楽町の雰囲気を思い出させる。
ギャラリー・ラファイエット前の雑踏
(2010.12.15 17:44)中央ドームはオペラハウスのバルコニーような造りを見せる。クリスマスに合わせた装飾が空間を埋め尽くす。
ギャラリー・ラファイエット・ドーム
(2010.12.15 18:00)