忘れ得ぬ幼馴染

忘れ得ぬ幼馴染


(書きかけ)

2023.5.8、早瀬眞慧様からメールをいただきました。実に47年ぶりにオンラインではありますが再会することが叶いました。ほぼ諦めていただけに「早瀬眞慧です」とのメールタイトルを目にした時は一瞬目を疑いました。偽メールではないのか、本当なのか、と疑いながら、手を震わせドキドキしながら、恐る恐る思い切ってメールを開きました。開けてみると間違いなく本当でした。まさに天にも昇る気持ちとはこのことだと実感しました。私にとってそれは、とてもとても大切な絆がやっと繋がった一瞬でした。(2023.5.8)

本ページは60年以上前の話であることや、ご存じの方からのコンタクトも期待して、本名を使わせていただきます。
お心当たりがございましたら、岡村隆、okamura@volvolife.jp までご一報いただけたら幸甚です。(2021.8.28)

<早瀬眞慧さんのプロフィール>
生まれ:1947(昭和22)年2月4日(私よりも2学年上)
小学校:中野区立江原小学校
高校: 都立鷺宮高校(たぶん)
職歴: 日本国内航空株式会社(スチュワーデス)
ご尊父:早瀬正彌(正弥)氏・初代日本銀行鹿児島支店宮崎事務所長(1946(昭和21)年2月就任)

◆出会い

私は2年生(1956(昭和31)年4月)から4年生までの時期、中野区江古田(現中野区松が丘)に住んでいました。その時向かいの家に住んでいたのが眞慧ちゃんでした。私は越境通学で上高田小学校、眞慧ちゃんは江原小学校に通っていて学校は違っていましたが、近所ということですぐに仲良しになりました。また眞慧ちゃんが近所の男の子にいじめられているのを知ったことも仲良しになった理由だったと思います。

彼女は2学年上級生ということもあって、とにかくよく遊んでくれました。私の誕生日には家に呼んでくれて応接間で遊んだり、自宅で飼っているニワトリが卵を産んだと言っては持って来てくれたりしました。

1957(昭和32)年には、眞慧ちゃんに誘われ、新井薬師前駅近くにあった「薬師東映」まで「明治天皇と日露大戦争」(注)を二人で観に行きました。
(注)「明治天皇と日露大戦争」(1957(昭和32)年4月29日初公開、総天然色シネマスコープ)

その後私が新宿区に引っ越してからは会うこともなくなってしまいました。たまたま江古田まで遊びに行ったある時、友達と自転車に乗った眞慧ちゃんを見かけたときは、大人っぽくなっていて私は照れくさくて話しかけることができなかったことを覚えています。

一緒に遊んだ頃の眞慧ちゃんの家
当時の眞慧ちゃんの家

再開した頃に思い出しながら描いた、江古田の眞慧ちゃんの実家(日銀社宅)。
門の左側にあった松の木や表と裏の庭の柿の木には良く登って遊びました。

◆奇跡的な再会

私が高1の昭和39年2月

中野区若宮の家
ベンチャーズのレコード
ボーリング
眞慧ちゃん
眞慧ちゃん
眞慧ちゃん
眞慧ちゃん

◆社会人になってから

徹夜明けの訪問
結婚前にお相手の田中氏を紹介される(渋谷で食事)

◆消息掴めず

参考資料

再会したころ(高1)の大学ノートメモ
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