バッハ傾聴

バッハ傾聴


ヨハン・セバスティアン・バッハ
Johann Sebastian Bach
(1685-1750)



『バッハ傾聴』初版第1刷
『バッハ傾聴』初版第1刷
バッハに関する書物で記憶に残るのは、「大音楽家・人と作品1 バッハ」(角倉一朗/音楽の友社)と『バッハ傾聴』(田中吉備彦/法政大学出版会)です。 特に『バッハ傾聴』は、私が21歳の時に音楽大学の声楽科にいた知人から、前年(昭和44年)に発刊されたばかりの初版第1刷をプレゼントされたもので、いまでも大切にしている本です。
死後半世紀の間ほとんど世から忘れられ、18世紀の末には永遠に死んだかに見えたバッハが世に復活する端緒となったヨハン・ニコラウス・フォルケル著『ヨハン・セバスティアン・バッハの生涯、芸術、および作品について』(Johann Nikolaus Forkel, Ueber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke, 1802.)の全訳が本書である」と訳者序文の冒頭に書かれているとおり、原著は世界で初めて書かれたバッハの伝記であり、バッハ研究の出発点に立つ、音楽史上重要な書物です。
本業が法律家で、バッハに傾倒するオルガニストでもあった翻訳者の田中吉備彦氏(1903-1958)は、原著者ヨハン・ニコラウス・フォルケル(1749-1818)のこの著作を、バッハ没後200年に当たる前年にみずほ書房から全訳出版しています。『バッハ傾聴』はこの翻訳に、田中吉備彦氏が自らの著作を加えて1969年(昭和44年)に再出版されたものです。 以下に、この『バッハ傾聴』の中でとくに共感する部分(当時、線を引いていた部分)を紹介して、私のバッハ讃とします。(2009.4.29)




『バッハ傾聴』初版本
『バッハ傾聴』

発行:1969年2月15日 初版第1刷
訳著者:田中吉備彦(1903-1958)
編者:土田貞夫
発行:法政大学出版局
定価:850円

原著:『ヨハン・セバスティアン・バッハの生涯、芸術、および作品について』
Ueber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke, 1802.
ヨハン・ニコラウス・フォルケル(1749-1818)
Johann Nikolaus Forkel
1802年刊行






■原著翻訳部分より

<遁走曲(フーガ)について>
p68

遁走曲やこれと同じ類の対位法やカノンを用いる曲では、バッハは何人の追従をも許さない。まったくひとり立っていて、彼の近くには立つ者がなく周りには住む人もないかのようである。どんな作曲家も、彼の一つの遁走曲とでも較べられるようなもの書くことはできなかった。

p69

性格的な主題、たえず主題そのものから導き出され、同じように性格的な歌声が初めから終わりまで続くこと、他の声部は単なる伴奏ではなくて、これまた終始それぞれ独立でありながら他の声部と融和した歌声であること、全体の進行が自然で流れるようであること、非のうち所のないほど純正でしかも無限にゆたかな転調、気儘で全体にとって不必要な音のまったくみられぬこと、様式とリズムと拍子の統一性と多様性、そして、最後に音が精神に変質してしまったのではないかと演奏者や聴者が折々思うほどみなぎっている生命。このようなことはバッハの遁走曲の特質であって、かかる作品を生み出すにはどれほどの精神力が必要であるかを知っている専門家を驚嘆せしめねばやまぬものである。


<弟子への作曲教育指導について>
p78

彼は弟子たちに次のようなことを厳格に守らせた。(1)洋琴を用いずに、自由な気持ちで作曲すること。これを守らない者は「洋琴の騎士」(Clavier-Ritter)(岡村注:指に何をひくべきか指図するのではなくて、反対に指から何を書くべきかを教えてもらうような作曲法)といってこきおろした。(2)各声部そのものの続き方や、これと結びついて同時に進行する他の声部との関係に絶えず心を用いること。いかなる声部も、それが内声部であっても、そのいうべきことを完全に語り終えるまでは、中途で止んではならぬ。いかなる音も、それに先行する音との関連をもたねばならない。どこからきたか、またどこへ行こうとするのかわからぬ音が出てくると、挙動不審なものとして立ちどころに追放された。個々の声部のこのような高度の精密さこそが、バッハの和声をして複合旋律たらしめたのである。


<バッハの芸術精神について>
p118

ある芸術家の数多い作品が、もしそれぞれの時期の他の作曲家たちの作品と類を異にし、またすべてが独創的な楽想に富み、専門家たると素人たるとを問わず、だれにも訴えるような精神内容を共通にもっているとしたら、そのような芸術家が真に偉大な芸術家であるか否かは、もはや問題とする余地なきところであろう。実りゆたかな想像力、無限に尽きざる創意の力、想像力から流れ出るゆたかな楽想をそれぞれの目的にふさわしく使う極めて繊細で鋭敏な判断力、気まかせで曲全体の精神とぴったりせぬ音は一つたりとも許さぬ洗練された趣味性、繊細で精密な表現手段を合目的的に使う非常な練達さ、それから終りに、精神のすべての力が内面的に結ばれて働くような純粋な特質を展開させるための最高度の熟練。このようなものをもつか否かによって、真の天才は識別されるのである。バッハの作品にこのような特質をみることのできぬ者は、それをまったく知らぬか、あるいはよく知らざる者といわねばならぬ。

p122-123(最終部分)

バッハの作品が、芸術における単に美的なもの、快適なもののようにただわれわれの気に入り、楽しませるのみでなく、否応なしにわれわれをとらえること、彼の作品がわれわれをちょっと驚かすだけでなく、聴けば聴くほど、またよく知れば知るだけ強い効果をもつようになること、また作品のなかに蓄えられている巨大な楽想のゆたかさのゆえに研究を重ねれば重ねるだけいよいよ新しいものがのこって、われわれの感嘆を誘うこと、さらに音楽のアルファベットしか知らぬ素人さえ、演奏が立派であって先入偏見で耳と心を閉ざさないならば、感嘆せずにはいられぬこと、このようなことは、すべてわれわれがかの高い芸術精神に感謝すべきものである。

かの芸術精神に負う所は、右のことに止まらぬ。バッハが彼の偉大で崇高な芸術様式と、大きい作品を構成する個々の部分の繊細な優美さや高度の緻密さを結合したこと、偉大な一つの楽曲というものは、その個々の構成部分が最高度の精密さを持たぬ限り完璧なものにはなり得ぬと彼が考えたこと。また最後に彼の天才の主要な方向が偉大さと崇高さにありつつも、彼の作品や演奏が往々快活で諧謔味(岡村注:かいぎゃくみ=ユーモア)すらもっているとするならば、それは賢者の快活さ、また諧謔味というべきものであったこと、このようなことも、すべてかの高い芸術精神に負うところのものである。

最も大いなる天才と倦(あぐ)むことを知らざる勉学とが結びつくことによってのみヨハン・セバスティアン・バッハは、その向かうところいずこにても音楽芸術の領域を拡大することができたのであって、彼の後にきた者は、何人もこの拡がった領域の全部を維持することができなかった。さらにバッハは右の結びつきにによりはじめて、すべてが芸術の真の理想また不易(岡村注:ふえき=永く変わらないこと)の模範であり、永遠にそれとして生きると思われる数多くの完成された作品を生み出すことができたのである。

この男、最も偉大な音楽の詩人、最も偉大な音楽の語り手 ― かつて存在し、また将来存在することあるべきもののうちで ― はドイツ人であった。祖国よ、彼を誇れ、誇れよ彼を。されどまた、彼にふさわしきものとなれよ。



■訳者田中吉備彦氏の解説より(1949〜1950年(昭和24〜25年)執筆)

<バッハの音楽の客観性について>
アルバート・シュヴァイツァーと同じく、バッハの音楽の比類を絶した高さの作品と平凡な生活との間の不連続が生ずることについては、田中氏も以下のように注目している。
p128

バッハの音楽が客観性の強い芸術であることは異論のないところである。バッハの音楽に感ぜられる強烈な主体性にもかかわらず、それは客観的な芸術である。個性的なもののみを主張しようとする主観的芸術と異なって、バッハのような客観的性格の芸術において支配的な重さをもつものは、超個性的、超人間的なものである。そうであるならば、主観的芸術の場合には、作者個人の生活と作品との間に緊密な連続が見られねばならぬとしても、客観的芸術の場合にはこの両者の間の連続は必須のものではなく、連続はむしろ、作者のうちに働く超個性的、超人間的なものと作品との間に成立すべきではなかろうか。


<バッハの洋琴(鍵盤)音楽一般について>
p154

バッハの登場によって西洋音楽史の舞台の中心がドイツに移ったことは、一般に認められる所であるが、このことは洋琴音楽についてもまさに妥当する。フランスのクープランの音楽における人間は「舞い踊る人間」であり、イタリアのスカルラッティの音楽における人間は洋琴奏者たる人間に過ぎなかったが、バッハの洋琴作品では、はじめて、人格者たる人間の全存在、全内面性があます所なく表出されるに至った。