東京バッハ合唱団

東京バッハ合唱団


ヨハン・セバスティアン・バッハ
Johann Sebastian Bach
(1685-1750)


Bach-Chor, Tokyo/東京バッハ合唱団) Bach-Chor, Tokyo/東京バッハ合唱団)

日本語演奏・初演《ミサ曲ロ短調》を聴く

第106回定期演奏会 ミサ曲ロ短調 パンフレット
第106回定期演奏会
ミサ曲ロ短調BWV232
パンフレット(PDF)
東京バッハ合唱団は2011年12月3日、日本初の日本語によるミサ曲ロ短調の公演を行ないました。 私はこれをインターネットでマタイ受難曲のコンサートを探している時に偶然見つけ、 リヒターのCDならほとんど持っているという友達を誘って行ってきました。 とても印象深いコンサートだったので以下簡単に概要をお伝えすると共に、合唱団について少々紹介します。
当日の模様を伝える月報[595号]2012年1月
当日の模様を伝える
月報[595号]
2012年1月(PDF)
私はこの曲をリヒターの1961年録音で何回となく聴いていますが、生で聴くのは実はこれが初めてでした。 中央のやや前寄りに席を陣取り、期待に胸を膨らませつつ開演を待つこと20分。 演奏が始まる頃には杉並公会堂大ホールはほぼ満席になり、やがて合唱団創立者の大村恵美子氏の指揮により演奏が始まりました。 バッハの声楽曲の多くは合唱が聴きどころとなっていますが、このミサ曲ロ短調においても開曲の「キリエ」は大きな聴きどころです。 そして、「グローリア」に入ると一気に明るさを増し、「クレド(ニケーア信経)」から「サンクトゥス」へと感動と興奮の連続で盛り上がっていきます。 途中15分の休憩を挟んで正味2時間に及ぶ演奏ながら終曲まで集中してしっかりと聴かせてくれる素晴らしい演奏でした。 上の写真でわかるように東京カンタータ室内管弦楽団のコントラバスは1挺だけであるにもかかわらずしっかりと低音を響かせていたし、 ティンパニー前のトランペットは高らかに胸のすく快音を鳴らしていました。 コントラバスは全曲を通じて一人で休み無く働いていて、かなりきつかったのではないだろうかなどと心配してしまいます。 しかしその甲斐(?)あってか、小編成でも豊かな音響エネルギーを出せるのだとあらためて認識させられました。 また、ソプラノの光野孝子氏をはじめとするソリスト陣からも若さ溢れる素晴らしい歌声を聴かせていただきました。 一緒に行った友達も大いに満足した様子で、とても後味の良いコンサートでした。
→ 客席で演奏を聴く友人と私(左) 客席で演奏を聴く友人と私(左)


創立50周年を迎えた東京バッハ合唱団

東京バッハ合唱団は現在も主宰者・指揮者として活躍されている大村恵美子氏によって1962年(昭和37年)に創設され、今年(2012年)、創立50周年の佳節を迎えています。 昭和37年といえば私がまだ中学2年生、カール・リヒターが素晴らしい録音を精力的に残していた時代です。 それにしても、50年。半世紀という長きにわたり合唱団を率いてこられた大村恵美子氏の実力と、体力と、気力は文化勲章に値する快挙であり、驚異です。 さらに合唱団の月報があと数ヶ月で600号になるということは1号も休みなく発行されてきたことを意味しています。 一人の人間における50年という長さは、考えれば考えるほど余りに大きく、重いものです。 まさに偉業というほか無く、ただただ敬服するばかりです。
東京バッハ合唱団は、普段は教会カンタータを中心に演奏活動を行なっていますが、現在は創立50周年の記念事業としてバッハの四大宗教曲(ミサ曲ロ短調BWV232、マタイ受難曲BWV244、ヨハネ受難曲BWV245、クリスマス・オラトリオBWV248)の演奏を企画し取り組んでいます。 今回(2011.12.3)のミサ曲ロ短調は、その第1回を飾るものだったのです。


一貫してバッハの声楽曲の日本語演奏を貫く

東京バッハ合唱団は創立以来一貫してバッハの声楽曲の日本語演奏を貫いています。 主宰者の大村恵美子氏は本来声楽は歌い手と聴衆が同じ言語を持っている限り共通の母国語で歌うことが自然の姿であるとの信念で、自ら日本語訳を行い、日本語による演奏を続けています(→東京バッハ合唱団サイト内「訳詩演奏の意義」)。 「訳詩演奏の意義」に共感し、そのミサ曲ロ短調を聴くに至り、ただ聴いているだけでなく、少しだけでも実際に体験してみたくなりました。 合唱はまったくの未経験で、バッハが大好きという理由だけで、このほど(2011年12月)合唱団の末席に置かせていただきました。 私のボイス・パートはソプラノの光野孝子先生より「バス」と決めていただきました。


ヨーロッパへの演奏旅行

東京バッハ合唱団は何度もヨーロッパにおいて演奏活動を行っています。以下の内容は東京バッハ合唱団サイト(→演奏会履歴)より転載したものです。
第1回1983年

ライプツィヒ・聖トーマス教会の公演ポスター(大村氏撮影:1983.8.28)
公演ポスター
ドイツ民主共和国(東独、当時)芸術公団の招聘により、東ドイツ4都市での公演を行ない、とくにバッハが後半生を送ったライプツィヒ聖トマス教会(ライプツィヒ・聖トーマス教会(撮影:2009.6.1) 聖トーマス教会・バッハ像(撮影:2009.6.1) 聖トーマス教会内陣(撮影:2009.6.1)、→衛星写真)では、わが国のアマチュア合唱団として初の演奏となりました。ヘルムート・リリング主宰バッハアカデミー(西独シュトゥットガルト)、フランス・ストラズブール改革教会、テゼ共同体でも演奏。

※左の画像は8月29日〜30日に行われた聖トーマス教会での公演を告知していた現地のポスターです。

第2回1988年

ベルリンの壁崩壊前夜の1988年、東ドイツの教会の招きにより実現。東ベルリンの3教会で演奏(内1回は音楽礼拝)。さらにライプツィヒ聖トマス教会(再訪)、バッハ生誕の地アイゼナハ・ゲオルク教会(アイゼナッハ・聖ゲオルク教会(撮影:2009.6.2)、→衛星写真でも公演。

第3回1993年

東西ドイツ統合後の1993年、ベルリンとポツダムの教会にて演奏会と音楽礼拝。管弦楽は、ベルリン・シンフォニーオーケストラのメンバーを中心に現地で編成されました。

第4回1997年

ケルン、アイゼナハ、ライプツィヒ、ベルリンで公演、チューリンゲン地方のバッハゆかりの小都市を歴訪。

第5回2009年

第5回ヨーロッパ演奏旅行を伝える月報[567号]2009年9月号
月報[567号]
2009年9月号
シュトゥットガルトを中心に、訪独公演。フライブルク・フライブルク大聖堂(→衛星写真)、シュトゥットガルト・パウロ教会で公演。

※東京バッハ合唱団を紹介する現地のインターネット教会テレビジョン → 2009.8.21付映像ニュース東京バッハ合唱団を紹介するインターネット教会テレビジョンの映像ニュース
※オルガン演奏で活躍された金澤亜希子さんの演奏旅行記 → 「パイプオルガン奮闘記・南ドイツ編」
 (金澤さんのブログ → 「金澤亜希子の音楽室」

※ 写真及びリンクは当方にて追加。教会の写真は私がドイツを旅行した時に撮影したものです(→バッハ旅行記)。



公式ホームページの制作と保守・運営

東京バッハ合唱団公式ホームページ
東京バッハ合唱団
公式ホームページ
bachchor-tokyo.jp
入団を機に、東京バッハ合唱団の公式ホームページの制作と保守・運営を担当しています(2012.5.15リリース)。
また、下記合唱団月報に、創立50周年メッセージとして出稿した「バッハ音楽との出会い、合唱団との出会い」が掲載されています。
月報601-602号(2012年7-8月合併号)


(2012.5.30)



入団後に参加した演奏会

入団後に合唱団員(バス)として参加した演奏会は → こちら

(2013.1.2)