母ハル(旧姓熊坂、1907-1982)の生家「熊坂製絲所」は、昭和の初期まで白石城下、宮城県白石町字後小路(現在は白石市西益岡町)、武家屋敷と沢端川を挟んだ位置にあった。 白石城は幕末期にかの奥羽越列藩同盟の本部が置かれたことで有名である。 ハルは保原熊坂家分家の白石熊坂家初代熊坂長吉(1878-1934)の次女として出生。 父貞三(→親父について)とは昭和5年(1930年)に結婚。私は父貞三・母ハルの第6子5男として出生()。 保原熊坂家には平安期から江戸期までの概略と江戸初期から現在に至る系図を記した「熊坂家系譜」が残っている。 近年白石熊坂家の叔父が複製加筆されたので、私はそのコピーをいただきデジタル化した。
【折々の写真】
昭和5(1930)年5月21日 婚礼
父28歳、母23歳
昭和35(1960)年4月
新宿御苑
父58歳、母53歳
昭和50(1975)年11月24日
芦ノ湖 山のホテル
父73歳、母68歳
「熊坂製絲所」の位置 (さらに詳しい資料PDF) 資料は2000年9月に訪問した折に 撮影した写真を基に作成。資料中 に写っている人は私の兄弟。 |
保原熊坂家九代目 日本画家 熊坂適山(1796-1864) の屏風絵 (仙臺屋 木村呉服店所蔵) 熊坂適山は私の父の生家である 仙臺屋木村呉服店に滞在して 描いた作品もあるそうです。 |
「熊坂製絲所」が 大正期に使用していた 製品ラベル |
大正12(1923)年3月21日 母ハルが16歳のとき 白石高等女学校入学直前 白石高等女学校は熊坂製絲所のすぐ近くにあり、現在は白石女子高等学校(上図) |
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