京都・新選組ゆかりの地

京都・新選組ゆかりの地



2009年11月23日から3泊で京都の紅葉を見てきました(→D200写真集/奈良の文化遺産/京都の文化遺産/京都の街/京都・東福寺の桜)。京都は中学の修学旅行を含めてこれが4回です。今回の京都は前回から30年以上も経っていたのでとても久しぶりです。 京都へ行くにあたっては、夜の清水寺の紅葉、街中散策、京都の新選組ゆかりの地、梅小路蒸気機関車館、奈良の平城宮(→見聞記/平城宮復元計画)、を必ず行く場所として計画しました。 3泊なら結構回れるのではと思っていたら、ほとんど余裕はなく、また行きたいという思いを残して帰ってきました。 以下は、2009年11月24日に京都の新選組ゆかりの地を回った時のものです。 (2009.12.28)


<文中の(→衛星写真)をクリックすると GoogleMAP の衛星写真が見られます>


新選組屯所 − 壬生・八木邸

八木邸の門前
八木邸の門前
いろいろな経緯があった末、会津藩預かりとなった近藤勇ら浪士は、この八木低を屯所としました。会津藩より「新選組」と命名され、薩長藩士らの傍若無人な暴挙から天皇を守るため、京都の治安に協力しました。八木邸(→衛星写真)は壬生寺に隣接して当時のまま残されています。
新選組はここから始まる
新選組はここから始まる
新選組発祥の地跡 奥に見えるのが八木邸の入口。右は八木家が経営する和菓子店の京都鶴屋鶴寿庵。
隊士が出入りしていた門
隊士が出入りしていた門
八木家住宅の説明 門を入ると右手が玄関となっており、玄関の土間を上がると4畳間、6畳間、裏庭に面した10畳間と続きます。通されて10畳の部屋に入ると、係りの方から新選組の歴史や、隊士の生活ぶりなどについて詳しい説明がありました。隊士の芹沢鴨が10畳の部屋で就寝しているところを粛清されたことは有名な話ですが、就寝していた部屋の隣りの部屋には、つまずいた机や、乱闘して付いた鴨居の刀傷がそのまま残っていて、当時をしのばせます。
当時のまま残されている門行灯
当時のまま残されている門行灯
机には、いかにも子供が小刀で付けたような傷がたくさんあることから、この机を使っていたのは当時子供だった八木為三郎かと思われます。後に子母沢寛が、明治60年に当たる昭和3年(1928年)の還暦を記念して発刊した『新選組始末記』は、この八木為三郎老人から聞き取った話や隊士の永倉新八の遺談などを基に書かれた実録小説です。芹沢鴨暗殺に居合わせた時の記憶も聞き取られています。後に書かれた『新選組異聞』、『新選組物語』とあわせて新選組三部作と言われ、新選組研究の原点となっています。歴史は敗者からの視点にこそ多くの真実が含まれていることが伺えます。(→見聞記/会津士魂との出会い


新選組屯所 − 壬生・前川邸

前川邸の門前
前川邸の門前
隊士が増えて八木邸が手狭になると、道を挟んだ隣りにある前川邸も使われるようになりました(→衛星写真)。山南敬助はここで切腹しています(右の見取図参照)。
前川邸見取図
前川邸見取図
新選組についての説明 八木家はもともと郷士の出であったため、家族は新選組と一緒に生活していますが、前川家は郷士の出ではなかったため、家が新選組に徴用されると家人はその間、別の場所での避難生活を余儀なくされていたようです。


新選組屯所 − 西本願寺・太鼓楼

右の建物が太鼓楼
右の建物が太鼓楼
新選組は八木家と前川家でも狭くなると、屯所を西本願寺の北集会所と太鼓楼に移して新選組本陣とした(→衛星写真)。
太鼓楼の説明書き
太鼓楼の説明書き
西本願寺 説明書きによれば、北集会所は姫路市に移築されたため、ここに残る新選組関連施設はこの太鼓楼のみとのこと。


御陵衛士屯所 − 高台寺・月眞院

高台寺見取図
高台寺見取図
月眞院はとても美しい環境の中にある高台寺の一角にある(→衛星写真)。
御陵衛士屯所跡
御陵衛士屯所跡
土方歳三は伊藤甲子太郎に一歩距離を置いていたが、近藤勇は伊藤甲子太郎を買っていて、参謀として遇した。
月眞院
月眞院
しかし倒幕が本音だった伊藤甲子太郎は、佐幕の新選組と対立することが多くなったため、御陵衛士になる名目で新選組から離脱。伊藤甲子太郎らはこの月眞院を屯所とした。
月眞院
月眞院
このとき、近藤勇は斎藤一を監視役としてもぐり込ませている。やがて倒幕派であることがはっきりした伊藤甲子太郎は、結局新選組によって殺害されてしまったのである。


油小路七条の変 − 七条油小路辻

七条油小路辻
七条油小路辻
七条油小路辻(→衛星写真)。広い道が七条通り、狭い道が油小路。 この辻に放置された伊藤甲子太郎の遺骸を引き取りに駆け付けた御陵衛士の同士と、御陵衛士を一網打尽にしようと待ち伏せていた新選組は、ここで大乱闘となり、双方に多くの犠牲者を出してしまうこととなった。
本光寺門前に殉難の碑
本光寺門前に殉難の碑
七条油小路辻から油小路を南(京都駅方面)に100メートルほど行った左手にある小さな本光寺門前には、この事件を記念する殉難の碑が建っている(→衛星写真)。
伊藤甲子太郎外数名殉難之跡
伊藤甲子太郎外数名殉難之跡
油小路七条の変についての説明 本光寺門前に建つ「伊藤甲子太郎外数名殉難之跡」の碑。


池田屋騒動の址 − 池田屋跡

維新史蹟 池田屋騒動之址
維新史蹟 池田屋騒動之址
池田屋騒動があった三条大橋の近くの旅籠「池田屋」の跡(→衛星写真)。
現在の池田屋跡
現在の池田屋跡
池田屋騒動についての説明 今年、ここに「池田屋」という名前の居酒屋がオープン。カラオケでよく歌う三橋美智也の「ああ新選組」でも流れていれば、もっと雰囲気が出たかも。
二階への階段を再現
二階への階段を再現
京都へ行く前に予約しておいたのでスムーズに着席。もちろん予約は二階席。しかし、良く再現したものです。



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